2020年10月06日

『世界史の構造』(柄谷行人著)を読了

ようやく『世界史の構造』(柄谷行人著)を読了。

本は付箋だらけ。これまでこの著者の著書は未読だが、この本はずいぶんと前に購入していた。著名な柄谷行人じたい、いつかは本格的に読みたい作家、思想家ではあったが、私の力量では、荷が重そう、とずっと躊躇していた。
今年の年頭、<マルクスを中心に読む>との契機と、コロナ禍で平日の日中に本が読める、との条件が重なり、柄谷行人の本との契りを得た。

『世界史の構造』の関連本となる『トランスクリティーク ― カントとマルクス』もすでにネット書店にて注目済み。
柄谷行人の著作は多数。しかもテーマの領域も広大。当面は、彼の著作も<マルクスを中心>に止めることにする。
posted by 太田黒 剛 at 15:05| 日記

2020年10月01日

マルクス

約1年半ぶりの更新。
ずいぶんとご無沙汰していた。

コロナ禍のあとも営業継続。
日中、事務所で本を読む時間だけは増大した(苦笑)。読書時間はこれまでの生涯で最も多いのでは。

コロナ禍以前から、年初から今年の「軸」とした分野はマルクスだ。
以前からマルクスがきになっていた。当店の電話番号の下4桁は「1867」。1867年はカール・マルクスが「資本論」の第一巻を刊行した年でもある。
まずは、マルクス研究家でマルクス本をたくさん出している的場昭弘氏の著作にナビゲーターにして読み進めた。
そして、私が最大のキー・ブックにしたのが『マルクス:ある十九世紀人の生涯』(上)、(下)、ジョナサン・スパーバー著である。マルクスの分厚い評伝本であるが、私が注視した最大の関心事は、ある(マルクス)のある十九世紀人の生涯を追うことである。

マルクス主義や資本論の読解ではない。マルクス主義「者」には深入りしない。マルクスの思考の土台をなしたヘーゲル、フォイエルバッハの哲学も深追いしない。資本論も宇野弘蔵の「経済原論」まではいかない。
それよりも、マルクスを中心に19世紀の欧州の諸相を眺めることである。マルクスの目にはどう映り、彼はどんな動きをしたか。
幸いにも日中も時間はたっぷりとあるから(苦笑)、マルクスと同時代を生きた、そして、同じ欧州にいた、「ある十九世紀人」の評伝も手にした。
まずは、相棒のエンゲルス。『エンゲルス: マルクスに将軍と呼ばれた男』(トリストラム・ハント著)。それから、マルクスも愛読していたバルザックの評伝『バルザック伝』(アンリ・トロワイヤ著)。他に評伝では、チャールズ・ダーウィン、アルフレッド・ウォレスなど。

いまは、マルクスの思想面がわかり、その発展を提示する『世界史の構造』(柄谷行人著)の終盤を読んでいるところ。

マルクス本はいまも陸続とでている。
今春出た『武器としての「資本論」』(白井 聡著)も今日的な問題を遡上にあげ、マルクスの考えの根幹に遡及する好著だった。
posted by 太田黒 剛 at 14:36| 日記

2019年05月31日

光州と麗水の宿

宿への「耐度」は落ちたようだ。

特に投宿した宿が不潔や騒音が重なると、訪問地の印象まで悪化する。若い時は宿と訪問地の印象が直結することはなかったのだが、今回、光州で投宿した宿は、最悪で光州の印象まで悪くした。再訪問したい気になれない。

これまで宿は、初日と最終泊日だけを事前予約する程度だった。5年前の韓国行きもそうだし、その時はレイル・パスを利用したので、その日の宿泊地もその日の午後になって変えることすらあったから駅に着いてからその夜、宿を決めていた。
今回は、訪問地を絞り込んだことと、日程の後半、韓国も3連休になることもあり、全泊を事前予約した(初めてのことだ)。

光州の宿は、バックパッカー宿で、宿の名前にも「Backpack」の名が付いていた。3台の二段ベッドが並ぶドミトリー・ルームと個室が一部屋ずつの小規模の宿。もうドミを利用する気はないので、30前半まで利用していたが(苦笑)、個室に2泊した。
部屋は不潔とまではいかないが、使いづらいことこの上なかった。部屋には布団と枕が置いてあるだけで、他は何もない。エアコンのパイプに安物ハンガーが一つあるだけ。窓にはカーテンがなく、消灯しても部屋は外からの灯りで隅々まで見渡せる程だ。しかも近くは車量が多い大通りで、夜中も車のエンジン音が途絶えることがなかった。おまけに夜9時頃に宿に着いた韓国人の大学生、女性5人組が夜中の2時頃まで話し声がした(翌日、彼女らは大量のゴミを放置したまま去った)。

光州のバックパッカー宿は、何よりよくないのは、オーナーやスタッフ不在の「無人」宿であることが要因だ。このバックパッカー宿のオーナーらしい男性とは、チェックインの際、携帯電話で少し話しただけだった。宿代は、「1階のバイク屋に支払ってくれ」というのが主な内容で、そのバイク屋の青年からドアの入室のパスワード数字を教えてもらった。2泊目の宿泊者は私のみ。前夜の大学生グウープが残していった大量のゴミはそのまま。宿帳のようなものがあり、覗いてみたが、利用者は少ないようだ。利用者が少ないから「無人」宿で、施設の手入れもしないから、再利用者が少なく…、なのか。

一方、光州の前の麗水の宿は、これまで利用した宿でも三指に入るくらい素晴らしく、麗水じたいも好印象となった。同じ1泊3千円程度でも雲泥の差があった。場所、清潔さ、 景観(屋上があり港が一望できた)、使いやすさ、いずれも申し分ない。加えて、フロントは若くて綺麗ときている。
この麗水の素晴らしいホテルは運営の省力化には目を見張った。フロントはその美人さんひとりのみ。朝食時は、給仕のスタッフはおらず、食後の食器は、所定の場所に戻すだけではなく、使用者が自ら台所で洗い片付ける。片付けができやすいように、装置配備の絶妙さに思わず唸った。朝食には韓国らしくキンパ(のり巻き)があったが、フロントのお嬢さんの横には、予備のキンパが置かれていた。どうやらキンパ補充も彼女の役割らしい。

光州と麗水。連続しての雲泥の差の宿を利用できたのも何かのよい旅の縁。しかもほぼ同じ宿代というのが意義深い。両方の省力化の仕方の違いも示唆に富む。
posted by 太田黒 剛 at 17:01|