2017年06月24日

台湾南部への旅(8)最終回 『安閑園の食卓 私の台南物語』

旅に持参した本の一冊は、『安閑園の食卓 私の台南物語』(辛永清著)。
1986年に刊行された本だが、2010年に集英社文庫で復刊された本だ。こんな味わい深い本を、よくぞ、復活させてくれた、とまずは出版社に深謝したくなる。

著者は、東京在住の台湾人で自宅にて料理教室を主宰することで生計を立てていた。2002年没。台南の裕福な大家族の中で育ち、幼少期の家で食べた料理を中心にひと昔前(1930年代)の台湾が抒情豊かに描かれている。

台南郊外の広大な敷地、大きな屋敷の「安閑園」での専属料理人、お手伝いさん、おかかえ運転手もいる裕福な大家族。「仏間のお供え物」、「お正月のご馳走」、家長をこれほど尊ぶものかと思える「父の誕生日」…料理の品々。スケールが大きい。日本人の普通の生活とは別世界なのに、どこか懐かしがある。

この本はどこで読んでも深く印象に残る、著者が唯一、この世に残した著書だ。
そんな珠玉の本を、著者の故郷であり、物語の綴られた台南で読むことができた。
ありがたき出会い。
posted by 太田黒 剛 at 10:00|

2017年06月16日

台湾南部への旅 (7) トラベラーズチェック

今回の旅行で軍資金にしようとしたのは、トラベラーズチェック(T/C)だった。
手元に800USドルと2万円ぶんのT/Cがある。10万円以上になるので普段の私の旅費からすれば、十分すぎるほどだ。

その中でトーマスクック社の1万円建てT/Cは、1990年、今から25年ほど前につくったものだ。長い旅に出るため約160万円、当時の有り金のほとんどをT/Cに両替した。そのうち1万円だけを記念として残し、お守りのようなものとしていつも海外に出る時には持って行った。

※T/Cの控え書に書き込んだメモによると、2002年4月26日に1万円ぶんだけわざと残して他の残りは使い切ったとある@スペイン旅行

トーマスクック社の1万円建てT/Cは、いわば私の長年の<旅の道連れ>だった。

海外でATM利用を始めたのはわりと早い方で、いつもATMから現地のお金を引き出す。T/Cは持参するがいっこうに使わないという状態がずいぶんと続いた。

※1995年からシティバンク銀行のカードを利用。今は別の銀行カードに移行。

2014年にアメックス社がT/Cの発行、販売を取り止めることを発表。当面はT/Cの換金は継続するものの、その発表から3年が経ち、そろそろ手持ちのT/Cを手放す潮時と思った。

前置きが長くなったが、旅の初日、台湾、高雄空港に到着後、すぐに空港の両替所で、T/Cの両替を申し出た。2カ所とも「ダメだ」とカウンター越しに片手を横振りする。私の予想以上に、もうT/Cを扱っていないようだ。

作戦変更して、市内を散歩した時、最も大手の銀行を探してみた。「臺灣銀行 BANK OF TAIWAN」が名前からしてそうだろう。案の定、T/Cの両替ができるとの返事。ものは試しに、その隣の銀行にも確認すると、「やってない」との返事。「BANK OF TAIWANへ行ったらよい」と付け加えた。

いったんホテルへ戻り、T/Cとパスポートを持参して再びBANK OF TAIWANへ。建物2階の外国為替コーナーで担当者に対面。T/Cを手に取り、机のパソコン画面をじっくりと見入った。そして、後ろ座席の上司に相談。
「USドルのT/Cは(両替)できるが、日本円はダメです」
仕方なく300 USドルのT/Cを両替した。
「ドルT/Cの両替レートもよくないですよ」と言われたが、明細表を見ると150元(約600円)もの手数料と通信費の名目で300元(約1,200円)が取られていた。

持参したすべてのT/Cを使い切っての豪遊?計画は、すぐに霧消した。

後日談
アメックスのT/Cは地元銀行で両替できることはすぐにわかった。一方、トーマスクックはインターネットでも調べてもすぐには判明しなかった。T/Cに「SAKURA BANK」※との表記もあったので、まるで双六のように変わった銀行名をネットで確認して、現在の三井住友銀行に連絡とり、両替でした。同行熊本支店の窓口で対応した女性職員は「(T/Cを)初めて見ました」と言った。<そうだろうなあ>。T/Cは世界から消えつつあるものだから。
posted by 太田黒 剛 at 15:41|

2017年06月10日

台湾南部への旅 (6) 台東で出会った旅行中のおじさん

台東から台南へ列車移動した朝のことだ。
台東の中心街と台東駅は6,7キロほど離れている。タクシーを利用すれば200元(約800円)ほどかかる。バスだと24元と安いが、駅行きのバスは運行本数が少ない。

小さなバスターミナルに行くと、4,5人の外国人ツーリストが駅行きのバスを待っていた。そのバス乗り場で、かなり使い込んでいるキャリーバックを持ったアジア系の男性が「やあ〜(また会ったね)」とほほ笑んだ。

その前日の午後、ホテルで借りた自転車で郊外の海岸線をサイクリングしていた時に彼と会っていた。観光客の記念撮影用に赤色の巨大な額縁が斜めに地面に埋め込まれており、撮影ポイントとなっている。中年のおじさんが若いカップルを撮った後、私に向かって「君も撮ってやろうか?」声をかけた。私は旅行中の記念撮影はしないし、位置取りが逆光撮影になるから、その気はなかったが、押しつけがましくない、親切な申し出に撮影をお願いすべく持っていた小型カメラを彼に手渡した。

そのおじさんは、ゴムぞうり履きで白っぽい襟付きシャツに黒ズボンの姿で、日焼けした顔に黒サングラスをかけている。年齢は私よりもやや多い、50代中盤くらいか。服装からして旅行者ではなく、てっきり地元の親切なおっさんで、漁師さんと言えばそうだろうと思える風貌だった。
<地元の人のわりには英語がうまく、外国人への接し方が慣れているなあ。もしかしたら以外にも添乗員か観光バスの運転手かな>
1分にも満たないやり取りだったが印象が残るおじさんだった。

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そのおじさんから撮ってもらった写真。

まさか、昨日のあのおじさんは、台湾人ではなく、外国人ツーリストだったとは。
台東駅に到着後。待合室でしばらく彼と話をした。
フランス人だと言い、2カ月間の旅行中で、台湾、タイ、ラオスをひとり旅をしている最中。台湾は3回目で最初の訪問は1970年代、「日本も3回行ったことがある」と言いながら、自分のiPhoneを手慣れた手つきで操作し、日本訪問時の写真を見せてくれた。鎌倉の大仏像の前、長崎のグラバー邸など数点、どれも古く、写真はスキャンしてスマホに取り込んだものだ。日本に最初に来た70年代のもので、いまの彼は白髪だが写真の中では黒髪だ。ということは、いまの年齢は60歳後半くらいか。

「若い時から旅が好きそうですね。アフリカとかにも行きましたか?」
「西アフリカに行ったことがある」と答えながら、またスマホでアフリカの写真を見せてくれる。この写真も古い。行った先々の国の写真をスマホに取り込んでいる。
「これが私の家族」と男の子3人と彼のご婦人と家族5名の写真を見せた。彼が黒髪だった頃の写真だ。夫人もアジア系の人だ。

行き先が違っていたので、10分ほど待合室で話をした後、別れた。知っているフランス語で「ボン・ボヤージュ」と言って。
<彼はいったい何人だったのか>
名前は尋ねなかった。
国籍はフランス。風貌や気配から想像するとフランス生まれではなく、アジアの国で生まれ、その後に移民としてフランスに渡ったのではないか。70年代に台湾を訪れているくらいだから、台湾や中国華南出身ならば、風貌にも合うし、合点がいくが、彼は中国語が話せなく、漢字は読めないと言った。東南アジアのどこかの国からフランスへと渡り、70年代から台湾、日本や世界各地を旅していたあのおじさんは、どんな人生を歩んできたのだろうか。
posted by 太田黒 剛 at 10:15|