2017年11月27日

「おがた5千石マラソン大会」に参加

先週木曜の祝日は、大分の「おがた5千石マラソン大会」に参加した。
フルは今年からで参加者は150人弱。今まで参加者した中では、最小規模。
ハーフ、10キロ、5キロ…たくさん参加コースがあり、主催者によると総勢参加者は800名強とのこと。
フルのコースはハーフコースを2周するもので、コースの累積標高は968m。起伏があり、風も強く、難儀なコースだった。同じコースを2周するのは、後半のコースが分かるので便利な反面、1周目で帰ってきた時に<やめようかな>との気弱な気持ちがふとよぎる(苦笑)。

コースは日本のナイアガラ滝といわれる「原尻の滝」という大きな滝を基点とした場所で、壮観な景色(しかし、かの地へ行ったことはないが、ナイアガラ滝とはスケールが違うだろう)。

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多くは山間田園地帯の集落と集落を結ぶ道路。「馬背戸米」という小さい看板が幾つもあった。この地のお米のブランド名だろう。マラソン大会名には「5千石」。昔は、収穫したコメを馬の背中に運んだのだろうな。西南の役では、大分の旧中津藩の士族の一部が薩摩軍に加わり竹田を攻めた。その後、臼杵も一時、占拠。彼らもこのあたりの豊後地方を通ったのだろうか。村田新八を描いた『武士の碑』(伊東潤著)を読み終えたばかりなので、走っている時にそんなことも思い浮かんだ。

走り自体は、目標としていた1キロ4分30秒のペースが最初から維持できなかった。スピード不足。それでも30キロ以降の失速はなかった。ネガティブ・スプリット(前半より後半の方が速い)ができた。前半の1周目は、50メートルほど前方のランナーをいくら走っても差が縮まらないのに、2週目の後半は、面白いように前のランナーを「拾って」いける。10月と11月で30キロ峠走を5本やったかいがあった。
posted by 太田黒 剛 at 16:30|

2017年11月07日

「全日本大学駅伝」観戦記

一昨日の全日本大学駅伝で神奈川大学が優勝。
日曜の朝の20キロ走を終えた後、ずっとテレビ観戦した。

まさか神奈川大学が優勝するとは!
同大学陸上競技部の大後栄治監督は今春から月刊ランナーズにコラム「神奈川大学「復活優勝」への道」を連載している。定期購読している私は、連載コラムの文面から大後監督の「人柄のよさ」を知っていたので、神奈川大学の優勝がうれしくもあった。

下馬評では、青山学院大学と東海大学の2強。登録選手の「持ちタイム」を見ても、両校が図抜けていた。なかでも東海は、5,000Mの持ちタイムが登録選手13名のうちなんと10名が13分台。青山が5名。駒沢大学が3名。トラックのスピードでは東海が一頭抜きん出ている。

神奈川大学はスーパーエースの鈴木健吾がいるとはいえ、大後監督がレース前に記者に語ったという「シード権獲得の6位が目標」くらいが周囲の大方の予想だったはずだ。スーパーエースがいて登録選手の持ちタイムが同じくらいなのは、山梨学院大学であるが、私は素人ながら山梨の方がまだ上位にいく可能性があるように思えた。個人的には山梨学院も知将、上田誠仁監督が率いているので応援したくなる。

月刊ランナーズの連載コラムで大後監督は、「いまの駅伝は、チームにひとりスーパーエースがいないとなかなか勝てない」と主張していた。そういう意味では、鈴木健吾の存在は大きかった。今年の箱根駅伝2区の快走で初めて彼を知ったが、3月に行われた日本学生ハーフマラソン大会をユーチューブで見て、これはモノ違う!を驚いた。2位だった駒沢大学のエース、工藤に軽く1分以上の差をつけていた。

今回の全日本大学駅伝の実況中継中にアナウンサーが「大後監督は、鈴木健吾について、私がこれまで指導してきた600人くらいのランナーの中で断トツに優れている」と、このコメントを何度も紹介していた。鈴木健吾は大後監督が近年、求めていたスーパーエースであろう。

しかし、大後監督の連載コラムを読むと、チームの裏方の人たちにも熱心に指導していることが窺い知れる。コラムでは、庶務の学生スタッフが部内の予算配分や遠征の手配をすることなどを紹介しており、学生の時にこうした役割を担当することは「とても役に立つはずだ」と大後監督は書く。私もそう思う。遠征の交通機関や宿の手配など旅行会社の仕事そのものだ。しかも大後監督じしんが日体大の学生時代は、選手としてではなく、庶務の学生スタッフだったそうだから説得力がある。
posted by 太田黒 剛 at 16:29| 日記

2017年11月04日

周期的に読みたくなる須賀敦子と関川夏央

朝読では、一度読んだことがある本の再読はしないのだが、須賀敦子と関川夏央の著書を立て続けに再読(再々読)している。

2週間前の週末に読んだ『須賀敦子全集』第1巻の「コルシア書店の仲間たち」を再読(たぶん三読目)したら、他のも読みたくなり、『全集』第2巻の「ヴェネチアの宿」へ。この本から朝も読む。「ヴェネチアの宿」の文庫版(文春文庫)の巻末解説者は関川夏央だった。

私の中では、数年おきに周期的に読みたくなるのは、この須賀敦子と関川夏央の著書だ。内容もさることながら、その文体、文章に惹かれるからなのだろう。

自宅本棚の関川本を中から今回は、『砂のように眠る―むかし「戦後」という時代があった』(新潮文庫)を選んだ。この本は、文庫本の刊行時(97年)に購入した時に、さっと読んだくらいしか記憶がない。偶然にも巻末解説者は須賀敦子だった。須賀敦子はその翌年、98年3月には亡くなっている。

生前の須賀敦子と関川夏央は交流があった。
関川夏央はこう書いている。
「晩年のある時期、私は朝日新聞の書評委員会で彼女と同席していた。帰りには「黒塗りの車」つまりハイヤーがひとりひとりに出るのだが、彼女はそれに乗ることをいやがった。「ああいうものに平気で乗るセンスとずっと戦ってきたのよね」と私にいった。その言葉は気負いなくさらっと発声されたのであるが、私は驚きつつ、温厚な表情の裏側にひそむ強いなにものかに触れた気がした」(『ヴェネチアの宿』(文春文庫)の巻末解説)
posted by 太田黒 剛 at 11:46|